今年2度目の青森。「アオモリオルタナティブ」の景色を見たくなって、秋田ひろむが見てきた世界をなぞりたくて、青森、下北を中心に逍遥した。そして念願だった寺山修司記念館も訪問。
12月の青森とは思えないくらいに穏やかな天候に恵まれ、おかげさまで各所堪能できました。公共交通機関と徒歩のみが移動手段だったけれど、天気のお陰で思いのほかどうにかなったよ、ありがとう。
青森市街地は雪が積もっていたけれど、下北も三沢もほとんど雪は残っていなかった。青森駅付近の雪道を歩くときにシャクシャクと鳴る音は相変わらず「カラス」の出だしのそれで、一年ぶりの邂逅をうれしく思った。
冬は好い。自身が冬生まれであることはもちろん、雪国で生まれ育ち、毛色のちがった雪国で情緒を壊したことも起因するのだろう。今となっては関東平野でのらりくらりとしているけれど、寒い冬が私はとても好きだ。
とくに印象的だったのは下北へ行ったこと。大湊線の車窓から見える陸奥湾がとにかく絶景だった。窓から差し込む陽射しは暑いくらいで、しばしの日光浴を楽しんだ。規則正しく穏やかに寄せては返す波、冬の陸奥湾とは思えない平穏な姿と柔らかな日差し、小春日和というに相応しい陽気、そこには悲しみや感傷なんて遊泳せず、ただ穏やかな時間だけが流れていた。
秋田ひろむも、この景色を見ていたのだろうか。そう思いを馳せながら、不意に脳内を駆け巡ったのは「空白の車窓から」だった。そのとき得も言われぬ感動が込み上げ、涙が零れそうになるのをどうにか堪えた。言葉の処理能力が追い付かなくなると涙になってしまう。いつも、いつも。
冬の厳しい陸奥湾を見てみたい気持ちもあったけれど、それはまた別の機会に取っておこう。また、行く口実にもなるから。
マップで見ると結構な距離があったので歩けるか心配だったけれど、意外にも難なく歩けたことに自分でも驚いた。下北駅から神社横丁まで散策して、田名部神社でお参りをして、ああ、ここ、MVに出てたな、なんてところを激写して。
なんとなく気に入った景色を撮ったあと、もう一度MVを見返したら登場している景色もあってうれしくなったりもした。撮り切れなかったところも、行けなかったところももちろんある。まあでもまた行くからいいよなって開き直ったりしながら練り歩けたのがよかったな。
ただ歩き回っただけなんだけれど、自分を肯定できる気がして、それもうれしかった。それはなぜかというと、体調がほぼ回復したことを確信できたから。今年の旅行は不調から回復するまでの定点観察のようなものだった。暑さも相まってなかなか歩けなかった7月と比べたら、今回の旅行は毎日5km以上は歩いたようだし、完全復活の兆しなのでは、とうれしく思った。
くずおれるようにして立ちいかなくなってからちょうど9か月。たかが9か月、されど9か月。
回復したら亡くなったあの人に申し訳が立たないという気持ちも正直ある。けれど、回復したことに対して後ろめたさなんて感じなくたっていいんだよ、そう私は誰かに言ってもらいたいのかもしれない。だから敢えて自分で自分に言ってみる。回復していいんだよ、と。
そもそもあの人だって私が不調であり続けるのはきっと本意じゃないだろう、たとえこれが都合のいい解釈だとしても。
自分のペースで立ち直していくことが何よりも先決だ。そうやってもう一度自分の足で立ちつつあるのだから、大丈夫。ゆっくりでもいいからしっかり歩んでいけるから、もうきっと大丈夫。
今回はとても穏やかだったので、雪が海風に翻弄されるさまを見ることはなかった。見るからに寒々しい景色を私もほんの数年間、日本海側の街で目の当たりにしてきた。まるで憂鬱が押し寄せてくるように荒れ狂う日本海を見るのは、ほんの数年だってけっこうこたえた。またこの時期がやってきたのかと、日照時間を憂う季節。憂鬱が強風とともに身体を突きさす季節。それでも嫌いにはなれなかった季節、冬。
そういえば、吹雪が海に溶けていくとき、その情景を目の当たりにしたかもしれない秋田ひろむが感じたことは一体何だったのだろう。
青森の冬は並大抵ではなく厳しい。これからさらに冬は深まっていく一方である。こうした風土がひとの情緒に影響を及ぼすことは想像に難くない。きっと、秋田ひろむだって例外ではないはずだ。
烏滸がましくもそう思ってしまったのは、秋田ひろむが見てきた世界の一部をこの目にしたときに、彼が描き出す歌のなかに青森という地や彼が過ごした場所がたしかに息衝いているのを改めて実感したからだ。
amazarashiの楽曲のいたるところにこの街が登場しているのをこれまで幾度となく聴いてきたはずなのに、青森を改めて散策することでようやくそれが腑に落ちたような心地である。
青森の大地、気候、自然、そして言葉、こうしたそれぞれが脈々と彼のなかに根付いているからこそ、形作られたものの一つがamazarashiという思想なのかもしれない。この大地が彼の端緒であると同時に、彼の音楽はこの大地の欠片を孕んでいる。今こうしてその息吹にふれられることが、このうえなくうれしい。
こうして感動を禁じ得なくて、なんだかわからないけれど、青森に対する感謝が込み上げてきた。もちろん、秋田ひろむに何よりも感謝しているのだが。青森が青森であること、そして秋田ひろむが秋田ひろむで在ることに、ただ心から感謝したいと、強く思った。
行くたびに好きになる青森、すごい魅力がある街だ。不思議な引力に引き寄せられているような気がする。住むとなればまた別な話であるのは重々承知だけれど、繰り返し訪れたい街というのは個人的にはそうないから、なかなかに新鮮である。
何度だって訪れたい街というのがどれくらいあるだろう。ましてやライブがなかったとしても訪れたいところ。そんな場所はどれくらいあるのだろうか。おそらく青森以外ではベルリンと新潟くらいではあるまいか。
さまざまな思いを巡らせながら、最後の訪問地である三沢に到着。ライブがなくてもちゃんと思いっきり楽しめることをすっかり忘れていたようだ。念願だった寺山修司記念館もこれでもか!というくらいに堪能。ゆったりと落ち着いた空間でのびのびと展示を見ることができる幸せって、とにもかくにも最高である。
展示のコンセプトも非常に凝っていて、体験型?とでも言うのだろうか。作品をただ展示しているわけではないところがとても魅力的だった。記念館の外にも趣向が凝らしてあって、林のなかを散策しながら寺山修司の言葉を見つけたり、広がる自然のなかで澄んだ空気を思いっきり吸い込んだり、いろいろな方法で楽しむことが詰まった場所だった。
「眠れない夜に寺山の詩集」1とあるように、秋田ひろむもきっと繰り返し読んでいたであろう作家。職業は「寺山修司」と主張し続けたという寺山修司。彼が編む言葉たちはうっとりするくらいに美しい。この美しさを両手いっぱいに体験することができて、これまたとっても幸せでした。
たまたま手にした贈る言葉も核心にふれるようでした。記念館の入場券とあわせて栞として使おうと思います。
あっという間の2泊3日。美味しいものをたくさん食べて、ゆったりとした時間を過ごして、おかげさまで心が元気になる日々を過ごすことができました。FREITAGのタフさにも感謝!本当に最高な相棒だぜ。
ふと思ったのは、いろんなところに一人で行ってしまう私のことを、私は結構好きだ、ということだ。回らないお寿司屋さんだって、初めて訪れる居酒屋だって、市場だって、いろんなところに行くだけの思い切りがある。我ながらそんな私を、イカしていると思っている。
青森、今回もありがとうございました。次は菜の花畑を見に行きたい。初夏の下北を散策したい。有言実行しようね。
- 秋田ひろむ「夜の一部始終」、2014年[↩]
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