9月24日のTHE BACK HORNは、開演時間に照準を合わせたかのように豪雨を呼び寄せた。
祝福の雨と言えば聞こえはいいが、バケツをひっくり返したような勢いに開演前から息も絶え絶えだった生き物が大半だったのではないだろうか。
第4回夕焼け目撃者。
一向に夕焼けにまみえることはなかったけれど、猛烈な雨に同時に打たれたという強烈な思い出が脳にしっかりと焼き付いた。第3回夕焼け目撃者も霧雨だった。彼らは雨が似合う。
それにしても、野音に合わせて土砂降りというのは、いかにもTHE BACK HORNらしい。ところで私は、雨が似合うひとたちが好きです。
開場と同時にカッパが大破した私は、ワイルドな風体で雨を一身に受けた。登山中だったら危なかった。離脱も一瞬考えたけれど、気付いたらワイルドな格好にも慣れたので無事に終始一貫して堪能することができました、ありがとう。今度はちゃんとしたカッパを用意しようね。私との約束だ。
いたるところに愛は存在していたけれど、何と言っても試行錯誤して編み出してくれたであろうセトリに胸が熱くなった。この場に居合わせるということが一層強調されるから、野音のライブって至高なのかもしれない。
同じ雨に打たれることも、今回は叶わずともいつか同じ夕日を見ることも、虫の声を同時に堪能することも、屋外だからこそ共有できることである。
「今、このとき」という貴重な時間も、音も光も雨さえも、あの場所にすべてが濃縮されていた。命が同席していること、そしてその律動をまざまざと感じる空間、それこそ野音で繰り広げられるライブなのかもしれない。いたるところに散りばめられていた愛を受け取ったから、雨なのか、涙なのか判らないくらいにぐしゃぐしゃになって泣いてしまった。
血が沸く瞬間と感動のあまり震える瞬間とが交互に押し寄せてくるから、THE BACK HORNのライブは、とってもせわしない。彼らのライブは私の心がまだちゃんと動くのだということをしっかりとこの身に刻みつけてくれる掛け替えのない時間である。
私の心は、まだ大丈夫。
そう思えて胸をなでおろしたのは、以前よりも心が動かなくなったと感じていたから。動かそうにも動くようなものではないからね、心ってさ。
マニヘブとはちがった趣で、それでも途轍もなく濃厚な世界がそこには広がっていた。記憶力の関係で断片的かつ順不同にしか記せないけれど「幾千光年の孤独」から始まるライブは血が沸騰するくらいに熱くて、雨でずぶ濡れになった身体の温度がみるみるうちに上がっていくような昂揚感を覚えた。
最近書いたのが「幾千光年の孤独」だったこともあって、なおさら気持ちが昂ぶったのかもしれない。一つひとつ紐解いていく楽曲が増えるたびになんだかとても嬉しい気持ちになる。拙い文章ではあるけれど、どれだけ時間がかかっても、すべての楽曲について思う存分綴りたいと自分の意志を改めて確認した瞬間でもあった。
カルペディエムのツアーぶりに聴けてとてもうれしかったのは「金輪際」。毎日「今日乗り切れば週末だ」1の気持ちでいるけれど、この歌詞に共感できるのは曲がりなりにも社会人を演じているからかもしれないね。
戦う相手が何なのかは定かではないけれど、何かしらと戦っているような気分でいる自分を慰めてくれる「ファイティングマンブルース」。いぶし銀という言葉が似合う一曲。ファイティングポーズはこれまでもこれからも取ることはないだろう。それでも、この曲にはこれからもこれまでも頭を撫でてもらうのだ。
久しぶりに聴いた「情景泥棒」は異世界に連れて行ってくれるのではないかと思うような独特な空気を帯びていて、ただひたすら楽しいと思った。山田将司がマイクに噛みつかないさまというのは、いつ見てもいい意味でちぐはぐな感じがして、その魅力をひしひしと感じる。
残暑厳しくも「ヒガンバナ」が咲き乱れる季節になりました。お彼岸の時期になると鮮やかな赤い頭を凛と掲げる規則正しさに、幾許かぞっとする。
「疾風怒濤」同様に、この2曲はアントロギアツアーでこれでもか、というほど存分に味わったはずなのに、もう懐かしいと思ってしまう。懐かしいと感じるくらいには私の一部にもなりつつあるのかもしれない。
「I believe」って、虫の声と相性が良すぎる曲なんですね。野音で聴けなければ気付かなかっただろう。この曲が終わるときに揺曳する彼らの音と、凛々と響く虫の合唱とが相俟って自然の雄大さのなかに溶け込んだ気がした。最初から最後まで余すことなく満喫できるって、途方もない贅沢だ。
こんなときだからこそ、改めて聴きたいと思ったのは「ひとり言」。9月6日も歌ってくれたから正直聴けないだろうな、と思っていた矢先に聴くことができた歌だったので、ただ幸せだった。
私もね、大切な大切な友だちにね、「そばにいて」と心から思ったよ。山田将司の痛切な叫びが夜空に融けていった。終盤、岡峰さんはステージに寝そべって四弦と戯れていたけれど、姿勢なんてもろともせずに弦を完膚なきまでにはじいていた。勢いあまって後ろに転倒したかに見えた山田将司、後頭部大丈夫だっただろうか…。
スマホのライトって、こんなふうに使うと光の雨が降りそそいでいるように見えるんだね、と感じた「世界中に花束を」。
白い光は眩しいだけではなくて、どことなく暖かくも感じられた。ステージから見えた景色は一層壮観だったにちがいない。いつどこで聴いても一等壮大な曲だと感じ入ってしまうけれど、この曲は野外で鳴らされるときのほうがその華やぎが一層強調されるように感じる。どこまでも羽ばたいていってほしい
ライブでお披露目するのは初めてだと告げられ、颯爽と鳴り響く音に胸が高鳴った「輪郭」。ライブで聴くことができるというのは特別な経験なのだと、改めて気付かされる。
「輪郭」を聴くとそこはかとなく汲々とするさまが伝わってきて、胸の奥を掴まれる。初披露、しびれました。こんなふうにしてすべての曲をライブで聴いてみたいという強欲な願いを私はひた隠しにしません。
「風の詩」を聴いたとき、音のなかを揺蕩うってこういうことか、と肌で実感した。いつまでもこの音のなかを漂いたいと思った、それくらいに心地がよい時間だった。ガラスのような、氷のような、透き通っていてとても綺麗な音と声は、きっといつまでもたなびくのだろう。
夏の終わりを名残惜しく思うような切なさが漂う「導火線」。不器用ながらも「君」を想う気持ちが滾々と湧いているさまが、とても愛おしい。「導火線」を聴ける限り、俺たちの夏はきっとまだ続いていくにちがいない。なあ、そうだろう。
「涙がこぼれたら」、「悪人」、「何もない世界」、「刃」、「コバルトブルー」、「太陽の花」、あとは…えっと…切ないけれど、たぶん何かしら抜けていると思う…。ごめんね…。あまり反芻すると10月1日の大阪でネタバレ大砲を喰らったみたいになるので、とひらりと開き直ります。
ところで、10月1日は晴れそうですね。もしかしてもしかすると、ほんとうに夕焼けを目撃できるかもしれません。一等楽しい景色を想像しながら、鉄の箱に乗って向かいましょう。しとどに濡れること、なおもギラつく陽光に焦がされること、対極を味わって、生還しようじゃねぇか。
- 菅波栄純「金輪際」、2019年[↩]
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