【ライブ記録】THE BACK HORN「マニアックヘブンVol.15」@20230211 GORILLA HALL OSAKA

THE BACK HORN
この記事は約11分で読めます。
記事内に広告が含まれる場合があります。

あのときの感動と歓び、笑顔、ときめき、そのすべてをできるだけ詳らかに書き遺したいと思った。

思い出にできる記憶には限度があるので、せめてこれらの言葉があの鮮やかな時間を思い出すきっかけになればいいと、それだけが私の希いである。

今年はTHE BACK HORNのデビュー25周年という節目の年である。そんなTHE BACK HORNの2023年は、マニアックヘブンから開幕した。

2023年1月14日に東京・中野サンプラザを皮切りにスタートしたマニアックヘブンVol.15。1月27日に名古屋・ダイアモンドホール、そして2月11日に大阪・GORILLA HALLでの公演を無事終えて、このイベントは一区切りがついた。

今回のマニアックヘブンはツアーという位置づけではなかったけれど、各所で多くのファンが「一喜一憂」してきたにちがいない(松田晋二語録に付与したい「一喜一憂」というワードをあえてここで使いたい)。

今回は大阪公演に焦点を当てながら、マニアックヘブンVol.15を振り返りたいと思う

GORILLA HALL OSAKAは2023年1月23日にオープンしたばかりのライブハウスである。オープンしてからも様々なイベントを行ってきたそうだが、ワンマンライブは2月11日に開催したTHE BACK HORNのマニアックヘブンが初めてだったらしい。

真新しいピカピカのホールでマニアックヘブンを堪能するという至福を喰らった稀有な時間。

今回のライブは、ライブハウスでのガイドラインも少し改定され、マスクをしていれば声を出すことが可能になった決定的な瞬間でもある。

コロナ以後のライブでは、おそらく今回のライブがTHE BACK HORNにとっても声を出せるようになった初めてのライブではないだろうか。

開演前から沸き立つ会場は、各々が開幕に向けて英気を養っていた。ツアーというわけではないけれど、年明けから東名阪と駆け抜けてきたマニアックヘブンVol.15は、今日で幕を下ろす。

セットリストが肌に馴染んできたひとも、今回が初めてのひとも、それぞれの想いを胸にただ、ただ、照明が暗くなるのを待っていた。

暗転とともに鳴り響くマニアックヘブンオリジナルのSE。独特な空気を帯びたSEに手拍子は鳴り止まない。会場からチラホラ発せられる声、久しぶりの情景に胸が跳ねた。

1曲目、いったい何が来るのだろう、という期待。

これは一瞬のことではあるけれど、もしかすると開演前の待ち時間よりもジリジリと待ち焦がれ、息を止めさえしてしまう時間なのかもしれない。

「カウントダウン」を皮切りに「マニアック」な曲が次々と披露されていく。そうくるか…という期待以上の威力を、これでもか!というくらいに会場に容赦なく刻みつけていくスタイル。感情の整理が曲順についていくわけもない。

続く「運命複雑骨折」で一層盛り上がる会場。2曲目で早くも踊り狂う会場、と言った方が正しい表現かもしれない。いつ聴いても、狂おしさともどかしさが伝わる「運命複雑骨折」。この曲名のクセがたまらなく好い。

間髪入れずに怒号が響く「ペルソナ」。前奏に合わせて拳を突き上げる観客たちの姿に凛々しさを覚える。圧倒的な勢いに喰らいついていきたいと思うのは、いつでも聴くことが叶う曲ではない楽曲をこの場だからこそ聴けたことによる。

様々な奇跡が重なった時間であることを、早くも3曲目の時点で噛みしめる。また「ペルソナ」を聴けば、きっとこの貴重な時間のことを何度でも思い出せるに違いない。

ライブに行って目撃できる歓びもひとしおだけれど、その歓びを何度も反芻し、その思い出に浸ることも心の健康にはこのうえなくいい。

MCを挟み、お互いに息を整える演者と観客。サラリと挨拶をして迎える4曲目は「白夜」

ギターの菅波栄純とボーカル山田将司が一緒になって音を掻き鳴らすさまが美しかった。マイクを向けられて、少しだけ戸惑いながらも声をステージに届ける観客。少しずつ、体温が上がっていくようだった。

そして「シェイク」。フロアを煽る山田将司。ああ、一緒に歌うことができるって、こんなに幸せなことなのか、そう感極まったのは私だけではないだろう。

たしかにガイドラインが変更されて声を出していいことになった。とはいえ、ウィルスがなくなったわけでもないことは誰もが理解していることではある。

が、あのとき、あの場所で、こちらに差し伸べられたマイクに声を届けることができたというライブならではの同時性に、ただ、感動を禁じ得なかった。

「がんじがらめ」になっているのが手に取るようにわかる前奏。ところどころ手拍子をしながら乱舞する観客。その情景、「マジ半端ないっすね」1

この会場の熱を携えたまま、「雨に打たれて風に吹かれて」そして「神の悪戯」とTHE BACK HORNのディープな世界が次々と織り成されていく。

「そう来るかァ!」とうなる気持ち。それからあまりにも楽しくてこぼれる笑顔、あるいはヨダレ。混沌とした時間は入り乱れながらもあまりにも多幸感に溢れていた。

たぶん、ここで、MCの区切りを入れてもらえなかったら、そのまま昇天していたと思う。

観客はもちろんのこと、THE BACK HORN自身も心からこの時間を楽しんでいた。

彼らのMCは適度にゆるくて、思わずクスリとしてしまうものが多い。

ロング股下・岡峰氏が「MCじゃねえな、これは」と無邪気に笑っていたところも、松田氏がどうしても使いたい「一喜一憂」という言葉も、ライブ前に喉が枯れてしまうくらいに弾丸トークをした菅波氏もそれぞれのエピソードが後を引く。

画面が切り替わるようにしてしっとりした曲たちが演奏されていく。愉快なMCとは対照的な淑やかな音楽たちに、またも揺り動かされることになる。

まずは「コンクリートに咲いた花」。あたたかい陽だまりのような歌だと感じて、なんだか胸が熱くなった。この歌を締めくくる「歌を道づれにして」という歌詞がとにかく胸に響く。

ライブで聴いたからこそ「ほんっとうに素晴らしい曲だよね」と一層の熱を込めて語ってしまうことがある。「コンクリートに咲いた花」を聴いて、改めて熱の存在を認識した次第である。

ライブとは、その曲の魅力を改めて知る掛け替えのない機会でもあるのだ。これは、ようやっと「理解った」と、確信が手に馴染む感覚とでも言えるだろうか。

こんなふうに腑に落ちる瞬間とは、言い換えれば惚れ直す瞬間でもあるのだろう。

不思議なことに、晴れやかな2月の朝がそこはかとなく思い出される「クリオネ」。

アコースティックギターが無邪気に駆け出すところが軽やかで、楽しげで、戸惑うほどに美しい。この曲はどこまでも透明で、あまりにも澄んだ心が呼吸をしているようである。

感情が言葉を超えると涙になるこの現象を、どう説明することができるんだろう。答えは解らないまま一筋の涙が頬を伝っていった。

さきほどまでの大轟音が嘘のようだった。

静かだけれど、力強い音と声は言うまでもなく健在で、凛とした音の海を泳いでいるようで何とも心地いい空間だった。

続く「ヘッドフォンチルドレン」。ヘッドフォンと爆音で耳を塞いでいるはずなのに、否、塞いでいるからこそ、「声を聴かせて」2と歌うところが救済に等しい。それにこの部分は会場全体が声を響かせた部分でもある。

この歌は「世界が終わる頃 生まれた俺達」2を救う歌である。

口笛もピアニカ(メロディオン?)も、たしかな響きとともに観客たちの心に突き刺さったにちがいない。

それから「フリージア」。穏やかな調子とは裏腹な力強い叫び声と印象的なメッセージが脳裡に焼き付く。息を呑む会場の様子が手に取るように分かった気がした。

「かわいそうじゃない僕は 生きながら腐るだろう」3と畳みかけてくる姿があまりにも苛烈だった。ただでさえこの歌は痛いのに、ライブで聴いたらなおのこと際立つ痛みに翻弄された。

今更ながら、ライブってやっぱり生き物だ。

音源を繰り返し聴くことは日々の暮らしに等しいけれど、ライブは何度足を運ぼうとも、やはり非日常である。

そのときにしか聴けないすべて、そのときだからこそ感じ取れるすべて…ライブでは凄まじい刺激の数々が数時間のなかで繰り広げられていく。

とてつもない化け物を相手にしているかのような錯覚に陥る。

めくるめくような情景に脳内物質の分泌が止まらない。

心を抉る曲たちに情緒を搔き乱され、追い打ちをかけるかのように「泣いている人」を聴く。

明日が幸せであるかはまた別のお話。それでも、喉が裂けそうなくらいに幸せを祈ってくれるひとたちが、ここにいる。

その事実があるだけで、「どうか明日は」4と言われるまでもなく、今このときがすでに幸せであると、心からそう思った。

幸せを希ってくれる人の存在に、今日もまた生かされたことを知る。

「まだまだいこうぜ大阪!」という力強い言葉に歓声や拍手で精一杯に応答するフロア。胸の高鳴りとともにうねるベースは「突風」。

今回のマニアックヘブンは、「突風」を堪能するには、あまりにもお誂え向きすぎた。

また、いつの日にか、「突風」を聴きたい。まさしく「人生を覆す 突風吹き抜ける その瞬間を」5僕らは目の当たりにしたのだ。

間髪入れずに六弦の響きが耳を劈く。「一つの光」だ。「置き去りの痛みも 輝ける未来も 全てを愛せないから あなたを愛せた」6という歌詞に貫かれたまま、〈むべなるかなァ…〉とひれ伏すことしかできない。

生々しくも的を射た言葉に身が竦む。全てを愛すること、あるいは周囲から嫌われないように好かれようとすること、ともするとそうしたことに目を向けがちである。

でも、本当に大切なものを、見落とさないようにしたい。本当に大切なものだけに、愛を注ぎたい。

そういう意味でも、この歌詞はまさしく警句である。

「また会おうぜ、また生きて会おうぜ!!!」という何よりも勁い叫び声とともに始まった「カナリア」。ステージを照らすライトが黄色かったのも、愛に溢れていた演出だった。

ああ、そうか、もう、終わりなのか。そう悟った瞬間、笑ったらいいのか、泣いたらいいのか分からない感情が滾々と込み上げてきた。

「生きて良かったと思える」7夜に、また出会うことができた。今は、ただ素直にそう思えるし、そのことに心から感謝している。

本編はこれにて終了。2時間弱とは思えない濃密な時間だった。呼吸を整える間もなく湧き上がる拍手、拍手。大衆は、アンコールを心待ちにしていた。

たしかな多幸感と名残惜しさを綯い交ぜにした会場が送り続けるアンコールに応えてくれたTHE BACK HORNに、何度だって感謝を伝えたい。

まだ、この時間に浸ることができるという幸福を、改めて噛みしめた。

アンコールの1曲目は「天気予報」。「天気予報」は、マニアックヘブンの最定番曲といっても差し支えないだろう。この異様な盛り上がりを見せるのはTHE BACK HORNだからこそできる業である。

たしかにものすごい勢いでドラムを叩いていたと思ったが、「天気予報」が終わったところで「ごめんマツ、スティック折っちゃった…」と言う山田将司。

「ちょっと調子乗りすぎてたよな、その予兆はあったよな」という岡峰光舟。

それから「ドラマーでもスティックはなかなか折りませんよ」という松田晋二。

マニアックヘブンだからこそ見ることができるすべての光景を、脳のシワの奥まで刷り込みたい。

続く「上海狂騒曲」。名盤『ヘッドフォンチルドレン』からは、「運命複雑骨折」、「ヘッドフォンチルドレン」とあわせて3曲が演奏されたことになる。前奏の「溜め」ている感じが最高にキマっていていい。

「人生は悪かねえ」8という部分でマイクを向けてくれたところも最高にキマっていてよかった。本当に「人生は悪かねえ 良くもねえけど…」8という気持ちで生きることは、さいっこうに気持ちがいい。

最後を飾るのはお馴染みの「さらば、あの日」。この歌に込めた気持ちが「希望を鳴らせ」という曲にも受け継がれていることに目頭が熱くなる。

四半世紀を経て今日まで続く足跡を目の当たりにしているような気分だった。その有難み、あるいは奇跡に胸が震える。

とりわけマニアックヘブンというライブは、彼らの軌跡をいつも以上に肌で実感できる場である。

脈々と受け継がれる魂の存在を確信し、THE BACK HORNがTHE BACK HORNであることを心からうれしく思った。今回も、本当に、ありがとう。

冒頭でもふれたように、THE BACK HORNの四半世紀をお祝いする手始めとして年明けから繰り広げられたマニアックヘブンVol.15。

25周年の幕開けには相応しすぎるほどの熱い時間だったことは誰もが肯くことであろう。

あと、500回聴きたい。

マニアックヘブンを見ていて素直に思ったことである。

マニアックヘブンが終わりを迎えたことはたしかにさみしいし、次が待ち遠しくもある。

とはいえ、これからもきっと、楽しいことが待ち構えているにちがいない。

そうした根拠のない自信が胸の奥に息衝くくらいに、「素晴らしい明日が広がってゆく」9ことを予兆させるかのようなライブだった。

THE BACK HORNの音楽を聴き、ライブに行くと、斜に構えることなくそう思えてくるから不思議だ。なんとも心強いメンターである。

次は、どんな風景が見えるだろうか。どんな感情に出会えるだろうか。どの曲をもっと好きになるのだろうか。

マニアックヘブンVol.15、本当にありがとうございました。

そしてデビュー25周年、本当におめでとうございます。盛大にお祝いさせてくださいね。大好きです!

  1. 菅波栄純「がんじがらめ」、2018年[]
  2. 菅波栄純「ヘッドフォンチルドレン」、2005年[][]
  3. 菅波栄純「フリージア」、2007年[]
  4. THE BACK HORN「泣いている人」、2000年[]
  5. 松田晋二「突風」、2020年[]
  6. 山田将司「一つの光」、2012年[]
  7. 山田将司「カナリア」、2015年[]
  8. 菅波栄純「上海狂騒曲」、2005年[][]
  9. THE BACK HORN「生命線」、2003年[]

コメント

タイトルとURLをコピーしました