年が明けてから連日晴天に恵まれる関東。それから一転し、小雨模様の2023年1月14日。傘はギリギリ不要だったが、さすがTHE BACK HORNと言いたくなるような天気。
いよいよ、マニアックヘブンVol.15が幕を開ける。
Vol.0から企画されているマニアックヘブンは今回で通算16回目を迎える。ツアー日程によっては1年に1度あるかないかのイベントであるマニアックヘブンは、概算でも16年以上もの歴史がある。
遅ればせながら説明しよう。マニアックヘブンとは、有り体に言うとTHE BACK HORNが企画した神イベントである。日本語で表記すると「熱狂天国」である。
マニアックヘブンのルールはただ一つ。シングル曲やライブでのレギュラー陣”以外”を主役にしたセットリストを組むということ。
かつてのツアーに行けなかったお友達も、ここでまさかの邂逅を果たせる心底有り難い夢のような心酔企画である。
先述のとおり、マニアックヘブンはB面をはじめとし、アルバムに収録されているリード曲”以外”が主役のライブである。それゆえに全然知らないよぉ…と震える方もおられよう。
だが、安心してほしい。知っていようとも知らずとも、その深遠にふれさえすれば自ずとTHE BACK HORNの世界に没入していくだけのこと。何の心配もない。
だから安心して没入してほしいし、マニアックヘブンに赴いてほしい。一ファンとして、強く勧奨したい。
老いも若きも酸いも甘いもすべてを受け容れる空間、それがマニアックヘブンである。
THE BACK HORNにとって年始一発目のライブはマニアックヘブンだったとのこと
2023年はTHE BACK HORN結成25周年という節目の年だ。熱く濃厚な年になることを確信させる幕開けに相応しい。
マニアックヘブンの醍醐味は、演目が錚々たる楽曲たちであることはもちろん、その曲順にもある。この新鮮さをもう一度味わうべく、セトリを改めてリセットしたい気持ちもある。が、強烈な印象が刻まれたままでもあと100回は同じライブに行きたい、と思うくらいに今回も規格外の多幸感に溢れていた。
セトリの順番は例によって抜け落ちているけれど、衝撃的だったすべての曲たちが脳内に留まっているうちに、この感動をできるだけ書き記したい。読み直したときに、あの感動が鮮やかに甦ることを期待して。
以下、ネタバレしながら感極まった記録をつけます。容赦なくネタバレしながら思いの丈を綴るので、色んな意味で以下アテンションです。
広大無辺に書き連ねてしまうだろうから、昇天しかけた瞬間を中心にピックアップし、できるだけ簡潔に記述したいと思う。正直に言うとどれも心臓が跳ねた瞬間なので、この指標はあまり参考にならないのだが。相も変わらず曲順が曖昧なので以下の順番には目を瞑ってほしい。
「ペルソナ」
ちょうど今『パルス』を書いているし、その流れでなんとなく『アサイラム』を聴きたくなって、会場に向かう間に聴いていた。そのなかで「ペルソナ」を無性に聴きたくなって一人興奮していた矢先にドカンとぶち込んでくれましたよ、「ペルソナ」を…。
アサイラムツアーのときに私が行ったのは一か所だけだった。あのとき縋るようにして「汚れなき涙」を聴きたいと思ったこと、そして無事にその希いが叶ったことを今も憶えている。
後から知ったことだが、「汚れなき涙」と「ペルソナ」が日替わり定食のような位置づけだったらしい。
正直なところ「ペルソナ」もものすごく聴きたかった。でも、「汚れなき涙」を聴けたから、楽しみはまた別の機会に取っておこう、という気持ちを胸に、気付けばあれから12年。12年越しに邂逅を果たすことができた「ペルソナ」。
いやいやもう、うれしさのあまりに理解が追い付かなかった。疾走する「ペルソナ」にも追いつきそうにもなかった。一瞬で過ぎ去る時間をこれほどまでに愛おしいと思うことがあるのだろうか。
そういうことも、どうやらあるらしい。感情が理解を越えていくことがあまりにも多いイベント、マニアックヘブン。
これからも聴きたい!という想いを力強く胸に抱きます。貪欲にね。必ず全て聴くこができるはずだから。その一瞬を一生憶えていよう。
「シェイク」
アアアアアアと心のなかで動揺が止まらなかった「シェイク」。会場内も大いに盛り上がり熱気にも溢れ、私も体温がブチ上がって倒れるかと思いました。
こんなに破顔一笑するのなんて、THE BACK HORNのライブくらいです。マスク着用マストでよかった。
「シェイク」は『暁のシンフォニー』のなかでもとっても好きな曲だし、ライブで聴くのがこんなにも格別だとは思わなかったので、ただただ呆気にとられてしまったよ。
聴いていて思ったのは「何度でも光を求め」ちゃうでしょ、ってこと。それが届くか届かないか解らない光であったとしても。「愛しい者たちを失ってしまうその前に」これからだって「何度でも光を求め」1続けるんだ、きっと。
私事ですが、『暁のシンフォニー』が発売されたころは渡独中だったので、この時期のツアーには一切行くことができなかった。ゆえに、リード曲以外はライブではほとんど聴いたことがない。だからどれも本当に貴重で、やっと聴けたね…と感慨深く思う気持ちと胸の高鳴りが渦巻いて忙しなかった。
「フリージア」
フリーーーーージアーーーーーーと心のなかの山田将司が叫んだ…これも初めて聴くことができた…。
そうです『THE BACK HORN』は私にとってTHE BACK HORNとの出会いの1枚ですが、当時は小さな箱のライブなんてどれも行ったことがない田舎のティーンズでした。ビビって行けなかったんだよね…。
というわけで、10数年のときを経て、ようやくライブで聴くことができました。どの曲でも同じことの繰り返しだけれど、「フリージア」を聴けたこともあまりにも嬉しすぎた。
体温の上昇を感じたのはもちろんだけれど、それと同時に息を呑んだ。はっと息を呑む瞬間って日常生活でそうあることじゃないと思うんですよ。でも、そういう経験をね、することがままあるんです。THE BACK HORNというバンドのライブでは。
「フリージア」を改めて聴いて甘美な歌だなあと、恍惚とした。ギターを弾く山田将司が多いのもマニアックヘブンの特徴。
ボーカルがギターを弾いている姿が未だに新鮮で、それだけで楽しいと思えるのもTHE BACK HORNのライブならでは。「天気予報」もそうだけど、皆さん本当に多才。
「フリージア」の間奏ではドイツ語の語りはありませんでした。だがしかし私はキモオタの真骨頂なので間奏に合わせながら、心のなかで呟いてしまいました。「Dann wirst du sagen; ”Ich liebe dich Freesie”」と…。
「突風」
あれ…これ……って理解が感情に追いついた瞬間に決壊した。ずっとずっと聴きたいと思っていた「突風」にもまみえるだなんて、今年のマニアックヘブンは本当に情緒をめった刺しにしてくるセトリ(大絶賛しております)。
何よりも早く突っ走っていく感情に置いてけぼりにされた情緒はすぐに泣いてしまう。どうにかして言葉を手繰り寄せたいと思うのに、ようやく言葉になったころにはこうしてライブは終わっている。言葉にならない想いが涙になってしまうのはどうしてなんだろう。
「突風」という曲だけでもものすごい威力を秘めているけれど、やはり曲順も相俟って尋常でないバフがかけられたように思う。
しっとりした楽曲ゾーンに胸を打たれていたところでMCに入り、閑話休題、「まだまだ行こうぜ〜」と会場を煽ると同時に突入した「突風」。
これは、真っ白い状態の心がまさに「突風」に攫われていった瞬間、と言っても差し支えあるまい。
「消えない虚しさを抱いたままで踊れ」2って、こういうことを言ってのけるTHE BACK HORNが私は心底大好きなんです。だって棄ててしまわなくてもいいって、肯定してくれるから。
こんなに楽しいのに涙で景色が霞んでしまったので、あと100回聴きたい観たい。
「カナリア」
「生きて良かったと思えるはずさ いつの日か」3というのは今日のことを指しているということでいいかな???!
THE BACK HORNが言うからこそ、言葉がたしかな重みをもってのしかかってくる。
おそらく、生きていることに対して疑問を投げかけたり、拒絶を呈したことがあるからこそ、「生きていてよかった」と腹から言えるのではないだろうか。「一番生じやすいのは180度の変化である」4と言ったのは河合隼雄先生だ。
乗り越えてきた感情があるからこそ、生を肯定できるようになるのかもしれない。
これ、泣かないでいられる?いられないよね?号泣よ。しかも「カナリア」は本編の最後だった。
終わらないでほしいと切に思う気持ちをあっけなく通り抜けてしまう終わりの存在、もう終わってしまうことを悟らずにはいられない風体の「カナリア」。だからこそ、「また会う日まで」3という言葉はこのうえなく刺さった。
こんなに華やかに終わりを告げる歌というのも、とっても粋だ。
しっとり歌い上げるような、たとえば「生まれゆく光」とか「枝」みたいな荘厳さも胸が震える。これらとは対照的な「カナリア」とか「パレード」とか、堂々と終わりを飾る歌も心の底から大好きだ。
恒例の烏滸がましい発言がここでも多発しますが、「生きて良かったと思えるはずさ」と言えるようになるまで、どれだけの艱難辛苦を彼らは乗り越えてきたのだろう、と思いを巡らせてしまう。光に向かって進もうとしているのは彼らも同じで、どうにかこうにか足掻いているのかもしれない。
そう思うと、やっぱり涙無しには聴けないな。
生きているかぎり、様々な悲しみや痛みを避けて通ることはできないけれど、生きていればこそ味わえる感動も、喜びも、必ず存在している。悲しみも痛みも己を構成するにあって必要な要素ではあるけれど、それ以上に愛だってあるんだよ。それを忘れないでいたい。
ただ、ただ、「楽しい」が詰まった愛に溢れる時間だった。「生きているかぎりTHE BACK HORNを続けたいと思う」そんなことを終盤のMCで山田将司は言っていた。
命あるかぎり、私も彼らを見続けていたい。この先のことは誰も判らないけれど、これはたしかな意志として胸に灯っている。
言霊がたしかに宿るものだと思うのは、「また生きて会おうぜ」という言葉の存在による。心から発せられたこの言葉はたしかな引力を持つし、同時に私たちの糧にもなって心の底深くまで根を張っている。
終始、心から楽しそうに演奏していた4人が脳裡に焼き付いている。時間の感覚も消失し、3時間くらい経ったのでは、という気持ちでいたけれど、本編は1時間45分ほどだった模様。
アンコールをあわせても2時間弱程度の所要時間だったので、関東方面に帰ることを想定すると余裕で終電(新幹線)に乗って名古屋から帰れそうですね。だからみんなも安心して名古屋行けるね!!!(??!)
「まほろば」という言葉はマニアックヘブンのためにあるのでは、と思わせるくらいにハマる感覚がある。アルバムのツアーはアルバムの楽曲たちをピンポイントで愛でる時間で、それに対してマニアックヘブンはTHE BACK HORNのすべての曲を愛でる貴重な機会なのだろう。
こんなにも大好きな音楽を大好きだと思える時間が存在していることに、心から感謝したい。
年始のマニアックヘブンということで、1月1日から各種練習に励んでくれた4人に何よりも感謝です。本当にありがとう。
東名阪のチケットを入手しているので、あと2回、心して刮目してきます。
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