最後に彼らを観たのは、師走の広島だった。それから500回以上の夜を越えて、漸く、まみえることが叶った今日を今か今かと心待ちにしていたと同時に、そんな今日が過ぎ去ってしまうことを名残惜しく想って、まだ今日に来てほしくない気持ちも綯交ぜになっていた。
日頃から電車に乗ることは滅多にないので、遠足気分で足を運んだ今日。今まで幾度となく通り越してきた景色をなぜか愛おしく思えたり、何気なく続いている世界を、ただ美しいと思った。総じて愛の作用なのだと思う。
初めて降り立つ場所は、蒼穹に晒された風が強いところで、誰もが鉄塊の飛翔する様を呆然と見上げていた。忙しなく行き交う俗世間とは隔絶された、強い風が吹く場所。時間が穏やかにサラサラと流れるのを感じて、この場所をすぐに好きになった。けたたましい轟音に包まれた静謐な場所。
『リヴスコール』を初めて手に取ったのは、たしか夏の日、ちょうど夏至を迎えた頃だったように思う。生命のスコール、はたまた命の呼び声、そんな二面性を孕んだタイトルの美しさに戦慄したことを憶えている。
ヒリヒリした20代前半を一緒に駆け抜けた、私にとっても特別な一枚。どうしてもライブに行きたかったのだけれど、しばらくして渡欧したからライブには行くことができず、そうこうするうちに9年の時を経て、念願叶っての邂逅を果たしたのだった。
白い衣を纏った山田将司は、天使と言って差し支えない出で立ちで、煌々と佇んでいた。元気そうな4人を見て、それだけで感極まってしまったけれど、ひとまず想定内の出来事だった。サラサラと流れるのは時間に限ったことではなく、音それ自体にも言えることのように思えた。高い高い天井に引っ提げられたミラーボールを見上げるのが好きで、揺曳する音にひたすら身を委ねていたし、あまりにも温かく絢爛な光に目を細めていた。
当時から『自由』が一等好きで、何としてでも聴きたい楽曲の1つだったので、マニヘブやら何やらで聴ける機会が最近多くあったのはうれしかったのだけれど、ツアーで聴ける至福を改めて噛み締めた。歌詞に出てくるとおり、一貫して「凛々と」しているこの曲の空気が大好きで、それはさながら、学生時代を過ごした海辺の街で拾い集めた夏の追憶のようだった。切なくて、若々しい夏が凝縮された一曲。だから何度聴いても、そのたびに胸を抉ってくるような切実さを受け取っているのかもしれない。
雷鳴よろしくチカリチカリとステージを瞬くライトだとか、赤く染まりながら乱舞するスタンドマン3人だとか、無意識にやってしまうクセの話だとか、想いを馳せればキリがない。2012年に発売されてから9年、その年月を歩んできたのは私も同じで、聴くたびに好きになる楽曲たちをとにもかくにも愛おしいと思ったし、覚束なくとも確かに受け取った、途切れとぎれになった一つひとつの言葉を反芻させては、痛切な約束、もとい明日を生きる希望を見出しもした。とにかく、何があろうとも、生きる、絶対に、そして、希うは再会。
ここまで力強く生命を打ち鳴らすことができるのかと圧巻された『世界中に花束を』。鳴りやんだ瞬間、これは生命の讃美歌なのだと認識した。幾重にも連なる悲しみには、しなやかなやさしさが織り込まれている。そうしたやさしさが織り成すたなびきを、どこまでも携えていきたいと繰り返し願った。
「生きるんだよ、絶対にだよ」と声を絞るがごとく放たれたのは、紛れもない祝福の言葉。間髪入れずに「一歩、一歩、できることからね」とやさしく語りかけてから耳を劈いた『ラピスラズリ』。生で聴いたのは今日が初めてのことだったので、訳も分からずただサラサラと涙を流した。
一寸先は闇、とまで言わないにしても、明日に掛けるのは不安か諦観のどちらかであることが多い。そうしたなかで一閃するのは、THE BACK HORNが帰る場所だということ。これは直感のような確信であり、かつ核心なのだ。
いつもいつも最後に伝えてくれる「また生きて会おうぜ」を目印にしながら、日々の疾風怒濤を生き存えようではないか。彼の想いを反故にしてはならないな、と幾度となく銘記しながら。
心に突き刺さった彼の紫電を一生携え、明日も生きる。それはさながら、紫の火花が散る電線に触れたら命が飛んでしまうような生き死にの汀。
ありがとう、THE BACK HORN。全身全霊の感謝を。
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