見るたびにTHE BACK HORNのかっこよさは段違いに増しているような気がする。深く目覚めるような気分を味わう。何度見ても、否、何度も見ているからこそ、桁違いのかっこよさと生命力を感じ取り、それらにとめどなく魅せられている。繰り広げられたのは、あまりにも凄まじい光景だった。
現実に起こったこと、まさしく自分が体験したことであるにもかかわらず、寝ても覚めても夢心地から抜け出せない。考えれば考えるほど、恍惚として、そのまま記憶のなかに溶け込んでしまう。言葉にならない昂揚感だけが、何よりもたしかな手ごたえとして残る。
あの情景を思い出そうとして、再現を試みて上を向くと首が痛い。ライブの翌日に身体がバッキバキになるなんて、いつぶりの感覚だろう。置き土産よろしく疲労感と痛みが身体に残っている。石のように重たい身体を引っ提げているわりに、悪くない心地がするのも不思議だ。
肝心の情緒は、というと、水面で翻弄される木の葉のように揺れ動いている。これも、毎度おなじみのことではあるが、気を抜くと「アアアアアアア」しか言えない。なけなしの言葉を手繰り寄せている途中である。
あの夜見た景色やあのときの気持ちを思い出そうとすると、心が震えてどうしようもない。すべてを残しておきたい。詳らかに反芻することを試みる。睡眠と同時に一部は残留し、一部は消失してしまうのだろう。どうしようもない熱だ。愛みたいなもんだ。いや、愛にちがいない、と主張したいのだ。
なんでもいいから、聴きたい。そう思いながらライブに臨んだ。それは投げやりな「なんでもいい」では決してなく、とにかく、彼らの歌を、聴きたい、という切実な思いの結晶だった。どの歌でもいいから、どんな曲でもいいから、今のTHE BACK HORNが打ち鳴らす曲を全身に受けながら25周年の節目に立ち会いたい。そう、汲々と願っていた。
相変わらず、前置きが長い。どんな曲を歌ってくれたかについてはこのツアーを重ねることで自分自身の心の整理がつくであろうタイミングに改めて記す。ここでは、今回のライブで得た衝撃について、生々しさを生々しいままに残しておきたい。阿鼻叫喚に相応しい、感情表現を言葉に置き換えて、できるだけ永らく思い出として残り続けることを祈る。
押し寄せる人の圧。満員電車はほとほと苦手だし、正直押し合い圧し合いも得意ではない。それでも、どうしても、この場所にいたかった。いつまでも、この場所で、ただ、大好きな人たちを見ていたかった。それが、切実な気持ちだった。
その願いを掴み取ったかのように、無事に生還を遂げたとき、とてつもない爽快感がこみ上げてきた。ライブって、楽しい。やっぱり、最高だ。そんな気持ちが、どうしようもない熱を帯びていた。
とめどなく繰り返される〈ありがとう〉と〈大好き〉。それ以外が言葉になるわけもなく、放心状態で帰路についた。もちろん、道中で酒をあおったことは言うまでもない。
改めて思えば、私の目が虫眼鏡で、かつ光を集めていたのだとしたら、いたるところに火をつけてしまったにちがいない。それだけ真剣に、彼らを間近で見つめていたことに気付く。これまでを振り返ってみれば、長時間にわたって何かを凝視することが、思いのほか稀有な経験だったことも自覚する。無意識理に沈んでいて自覚できていないことは、思いのほか多いのかもしれない。
開いていたのは心か、身体か。そのどちらもが解放されたようにして、ただ、ただ、私は観て、聴いた。たしかに拳を突き上げるのは大好きだ。が、思うように手を伸ばせなくても、ただ、一点を集中して見つめていたことで、普段は気付かなかったことに改めて気付けたと思うと、深く目覚めるような思いがした訳も、ちゃんと紐解けそうである。
光に照らされながら透ける虹彩のきらめきも、暗転とともに開く瞳孔の深さも、脈動する命が織り成す生命の象りだ。
声で震えるのは、空間だけではない。その声を出す本人そのものが震えるのだ。すごい、命だ。そのものが、途轍もなく尊い命だ。命にふれる、もちろん直接ではないにしても、そう思わずにはいられなかった。
車窓からうっすら見えた虹も、雨の合間に目撃した夕焼けも、Tシャツの繊維が腕について腕がすっげーばっちくなったことも、両手で持っていたペットボトルが、熱気のあまり曇っていたこと、それから中身が少し生温かくなっていたことも、そのどれもがなんだか愛おしい情景として、私のなかに残っている。
どうかどうか、忘れたくないなぁ。これらの情景を、見た光景を、ずっと憶えていたいなぁ。この衝撃を忘れるのは、あるいは失くなるのは、私が消えるときと一緒がいいなぁ。
毎度のことながら、ライブに行くと、これ以上ない幸せを噛み締めてばかりである。が、その最高がどんどん更新されていくから、途轍もない贅沢を、毎回享受していることを痛感する。至福って、こういうことを言うのかもしれないな。
THE BACK HORNが大好きだなァ、という気持ちを1年1年重ねていたら、いつしか15年という歳月が経ち、それが私の人生になった。これほどまでに、うれしいことはない。全身で受け止めた共に生きる喜びを、ひたすら噛み締める。生きていてくれて、ありがとう。出会えて、本当によかった。そんなことを思っていたら、なんかまた泣けてきた。
あのとき私は、光に手を伸ばした。一心不乱に、光に向かって、手を伸ばした。この光をこの目で捉える限り、私は何度だって同じことを繰り返すのだろう。飽きもせず、相も変わらず、手を伸ばし続けるのだろう。
コメント