今日も今日とて「まるで肉の海だ」と形容される渋谷へ。3月にパシフィコ横浜で観た以来のTHE BACK HORNだったので、相も変わらずソワソワが止まらなかった。
日頃から対バンよりもワンマンを堪能したいと思っている強欲の権化なので、申し訳ないけれど物足りなさを感じるだろうと予感していた私はまざまざと敗北した。たしかにTHE BACK HORNの持ち時間は1時間という時間ではあったが、物足りなさなど微塵も感じなかったからだ。むしろあまりにも濃度が高すぎて、面食らったくらいだ。
いついかなるときもTHE BACK HORNが放つ精彩は凄まじい。私はこのことを1億回噛み締めていても1億1回目には忘れるので、1億2回目以降も改めて反芻する必要がある。
さて、この日に観た光景について。
先に述べたようにTHE BACK HORNが演奏したのは1時間程度だったが、改めて振り返ってみると、ワンマンライブさながらの濃度の高さだった。今回のライブで歌ってくれたのは、アンコールを含めて12曲だった。
ライブハウスでの押し合いへし合いの様子はコロナ前のそれと完全に同じで、QUATTROの柱がなかったら流れに飲まれてへにゃへにゃになっていたことだろう。気合を入れて渦中に入るのと、予期せぬ合間に大きな波に飲み込まれるのとでは心持ちも全く違う。ライブハウスは戦場だと改めて銘記したうえで彼らを観る場所を選ぶほうがよさそうだ。
「雷電」が口火を切るとは夢にも思わなかった。折に触れてライブで聴いているはずだが、そのたびに合掌したくなるのはなぜだろう。溶解した喜びだとか興奮だとかは、チカチカ明滅を繰り返す光に串刺しにされ、ライブハウスという空間のなかに磔になった。もう、どうにも止まらなかった。
ギュっとした空間で鳴り響く「希望を鳴らせ」は、いつも以上の威力とともに弾け出す。凝縮された希望が響き渡るようで、エネルギーの密度に圧倒されるばかりだった。ライブハウスの一体感、とか、正直に言うとどうでもいいんだけれど、THE BACK HORNを愛してやまないひとたちが鳴らす希望は、あまりにも美しくて壮観だった。
いつぞやのマニアックヘブンでも再会した「金輪際」をここで聴くことができるとは。この日は日曜日だったけれど、早くも翌週を乗り切れるだけの燃料を投下してもらった気分だ。なんだか、キラキラと輝くような歌だ。「金輪際」って。儚い光に「それでも」手を伸ばし続けてしまうような歌が好きだ。これは、「空、星、海の夜」から通じている系譜にほかならない。
名は体を表すとはまさにこのこと。どうにもこうにもいかない状態が手に取るように分かるような「がんじがらめ」という曲は、行き場がなくて悶える有様を如実に描き出している。それは絡まった糸さながら縺れ合うフロアの様子とも重なる。「まじ半端ないっすね」って言うところではしゃぐのが一等好き。
「修羅場」来ないかね、なんて思っていたところで鳴り渡った前奏。心して立ち向かおうとした「修羅場」という曲。この日のライブで「修羅場」は初お披露目だった。音源でしか聴いたことのない曲にライブ特有の生命力が宿るこの瞬間は、何物にも代えがたい貴重な時間である。
最近は、ライブに足を運ぶたびに「罠」を聴いている気がする。「コバルトブルー」ほどではないにしても、繰り返し聴くことが多い曲だ。それでも毎回思うのは、やっぱり規格外にかっこいいということ。それから、部屋の隅っこでこの歌を聴きながら滾る精神を感じていた学生時代のことも折に触れて思い出している。
私は松田晋二がドラムスティックを叩くリズムで次の曲を察知する芸人なので、これから歌うのが「空、星、海の夜」にちがいないことを理解した。先般のツアーでもセットリストに組み込まれていたこともあって、たしかに何度も繰り返し聴いてきた歌ではあるけれど、この日に聴くことができたのは奇跡に等しい巡り合わせにほかならなかった。喜びは徐々に涙に変換され、馴染みがあるはずなのに〈これは初めてなんだ〉という有難みを噛み締めていた。邂逅を果たす、まさにそんな夜だった。
もう「コバルトブルー」が始まってしまう。この歌はお別れの合図だから、盛り上がるのに、やっぱりものすごく切ない。ライブハウスの照明がこれでもか!というくらいに眩しいのもあるけれど「コバルトブルー」という歌そのものが一等星のようにまばゆい。夏に聴く「コバルトブルー」は、いつも以上に光を放っていて、なんだか胸がいっぱいになる。こんなに賑やかで楽しいのに、やっぱり、ものすごく切ない。
間髪入れずに繰り広げられる怒涛の選曲に情緒が追い付かない。「シンフォニア」だ。25周年のファイナルで聴いたぶりの「シンフォニア」。ホールのように広々とした空間で観るTHE BACK HORNももちろん雄大で、その存在の大きさに息を呑みもするけれど、ライブハウスのようにギュっとした空間で堪能するTHE BACK HORNが放つエネルギーはやはり唯一無二だ。「帰る場所ならここにあるから」って言葉に何度支えられてきたことだろう。そう言ってもらえると、俄然何処へでも行けるんだって何度でも安心できる。
本編の最後を飾ったのは、これもお馴染みの「太陽の花」。この歌を唄うTHE BACK HORNがいつも以上に眩しく見えたのは単に照明の効果か、それとも胸いっぱいの状態で怒涛の勢いに飲み込まれた作用によるものか。こういう状態を恍惚としている、と表現するに違いない。
暴れないつもりが「上海狂騒曲」がアンコールの1曲目と分かると、押し合いへし合いのなかには入らずとも飛び跳ねたくなる気持ちを抑えきれなかった。サビの要所要所でマイクを会場に向けてくれる山田将司が印象的だ。「上海狂騒曲」は灼熱の夏が一等似合う曲。年々暑さを増す夏にはほとほと嫌気が差すけれど、季節を重ねることが乙だと思うと、酷暑も悪くはない。まあでもそれは「上海狂騒曲」を聴くためだけだと念を押しておこう。
いよいよ最後の曲になってしまった。「刃」。底知れぬ生命力を湛えた歌は、光とともにあの場に居合わせた者たちを照らし出した。余すところなく降り注ぐ愛。それを受けた私たちは、このライブが終わったとき否応なく呆然と立ち尽くしてしまった。
THE BACK HORNという大きな愛の塊と対峙するたびに思うのは、目の前で繰り広げられた光景を消化するのにはどうしても時間が必要らしい、ということだ。逸る気持ちとは対照的に、まごつく言葉にもどかしさを感じてばかりいる。
7月が始まったばかりだというのに、すでにあまりにも暑い夜で、何かが融けてしまいそうな気がした。対バンのライブがこんなにも熱量のあるものだということを未だに理解できていなかったことに慙愧に耐えない。新しい世界との出会いだ。
ドリンクチケットで引き換えたビールを10秒チャージのごとく飲み干し、私たちは会場を後にした。
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