11月下旬だというのに思ったよりも寒くなくて暖かい日だった。辺りを撫でるように吹く海風は青森のそれとは全く違うけれど、穏やかで落ち着いた時間を過ごせたことをただありがたく思う。それくらいにとても晴れやかな一日だった。
複数回行くと少しずつセトリも覚えて、ライブそのものの記憶も鮮明になっていくのを感じた。だからといって感動が薄れることはなく、心に突き刺さった言葉の数々を反芻し、記憶を思い出にできればいいと切に希った。これはこれで様々な楽曲の違った表情を楽しむことができる。
こんなふうに1回1回のライブは、とても大切な場で特別な時間だから何回だって足を運びたいと思う。ここで目の当たりにするのは何度でも見たい情景で、同じセトリだったとしても今日この日にしか見れない景色もあって、缶バッチは毎回色が違うし、やっぱり行けるだけ行きたいと思うし、行ける限り私はそれを実行するのだろう。ひたすらに強欲である。
開幕とともにぽつりぽつりと語られる独白。語りを増すごとに熱がいっそう籠っていくことを肌で感じる。「そのすべてが、私である」という堂々たる主張と同時に掻き鳴らされる「感情道路七号線」。スクリーンの裏側に見えた影は、愛知のときのそれよりも薄く見えた。彼らを目の当たりにすると、やっぱりどうしても涙が出てきてしまうな。
アルバムに収録されているとおりの順番で「火種」、「境界線」、「ロストボーイズ」、「間抜けなニムロド」と続く。そういえば「境界線」を初めて聴いたのは、ボイコットツアーのときだから、あれからもう1年以上経つことにハッとして驚いた。それを言うならほかの曲だってもう半年以上経つわけだけど、大切な曲として自身の地層に組み込まれていくということが、とても感慨深い。
そういえば、秋田ひろむがいつもより饒舌だったように思ったのは気のせいだろうか。
同じ通学路、同じ通勤電車、同じ道を行ったり来たりするばかりなのに、なぜだか僕らは迷ってしまう。そんなふうに迷ってしまう子どもたちとかつて子どもだった大人たちへ歌いにやってきました、そんなことを秋田ひろむは語っていた。
このツアーに初めて参加したあの日、青森に行った5月。あの頃からずっと迷っていて逡巡ばかりしている私はこの言葉の温かさに包まれて、そのやさしさに身を委ねた。ここから紡がれる「ロストボーイズ」が心の髄まで沁みた。
ところで、なぜ、私はこんなにも迷い続けているのだろう。向かうべき場所が胸をかすめたような気がしても、手から砂がサラサラと零れていくように砂塵と化してしまうことを何度も体験してきた。そのたびに「自分には無理だ」という呪いが脳裏によぎる。自分を呪うのはほかでもない自分自身だ。そうやって自分とむなしい独り相撲を取って取って取りまくっている。
こう思ってしまうのは、たぶん、「やりたいこと」というものに対して重度なコンプレックスを持っていることが一因かもしれない。端的に言うと私は「やりたいこと」というものを神聖視しすぎているきらいがある。
端的に言えば「夢」とか「やりたいこと」に対し、私はものすごく大きくてなんかすごい内容を想像しがちである。海賊王になる、プロ野球選手になる、バンドで食っていく、起業する、やりたい仕事に就く等々。無体な話であるが、不躾ながらなんかすごいものでないと「やりたいこと」の土俵に上がれないと思っているフシがある。なんとも暴力的な発想である。
だから熱意とは縁遠い自分に対して「自分は外野」というレッテルを貼り付けまくって、あまつさえ自分には無理だとどこかで諦めてしまうのだろう。私が陥っているのは「やりたいこと」に対して「こうあるべきだ」と誰に言われるでもない自分のイメージを勝手に押し付け、この呪縛から抜け出せずに足がもつれている、という残念な状態である。「やりたいこと」信仰に卑屈さが相俟って我がコンプレックスの発端は形成されているのかもしれない。
たとえば夢があって、四苦八苦しながらもそれに邁進するとか、達成したいことに向かって奮闘するとか、夢中になれる目標があるとか、明確な意志があることに越したことはない。なぜなら、挫けそうになることや投げ出したくなることが途中であったとしても、何かしら辿り着きたいと思える指標を持っていれば、たぶんどうにか顔を上げることができるからだ。
こう書き連ねてふと思ったのは、ビッグなドリームじゃなくたって、「何かしら辿り着きたいと思える指標」であれば、己の内側に見いだせるのではないか、ということである。自ずと見出し、目を背けようとしても意識を逸らせず、やむにやまれぬ衝動が息衝くものなら私にだってあるではないか。ただ、ずっと消えないでくすぶっているものが。つまり自身が体験した感動を言葉にし続けたい、という意思が。
烏滸がましくも、それは自分がすべきことであるとも同時に思うようになった。それはこの日、amazarashiのライブを見たときに心のなかにふと灯ったことである。今はまだ、乾坤一擲の勝負と言えるようなものではない。退路を無くすこともできないし、宙ぶらりんのままゆらゆらしている。ただ、これだけは譲りたくないと思ったこともたしかである。
では、それを「やりたいこと」信仰の眼鏡を外して見てあげたらどうだろう。そして、それをただ、続けてみてはどうだろう。どっちに転んでも自分が最後までついてくるだけのこと。何も失うものはない。才能も夢も熱意も、武器らしい武器は何も持っていなくともできることがあるとすれば、それは愚直に続けることではないだろうか。
どうしたって、この先も定期的に迷うにちがいない。なんなら現在進行形で今もずっと迷い続けている。ただ、文句を言うのは続けてみたあとでも遅くないかもしれない。倦むことがあれど、心が冷えども。
このツアーでは、アルバムの曲を聴けるのはもちろんだけれど、ほかのアルバムからピックアップしてくれた楽曲たちも聴くことができて本当に心が震えたよ。
久しぶりに聴けた「空洞空洞」の勢いはとどまることを知らず、この場を爆速で駆け抜けていってとても爽快だった。
スクリーンが上がって映像も歌詞も一切映らないなかで炎のゆらめきとともに煌々と紡がれる「僕が死のうと思ったのは」。痛切な祈りのように編まれるこの希望の歌に出会えてよかったと心から思う。
この次に爆音とともにはじまった「あんたへ」。「今辛いのは 戦ってるから 逃げないから」1という肯定に何度救われてきたことだろうと思い返す。「あんたらしい人生ってのは あんたらしい失敗の積み重ね」1だと言ってもらえたら、これまでの失敗にもなんだか愛着がわくような気さえした。誰と比べることなく「あんたらしく転べばいい あんたらしく立ち上がればいい」1ということを繰り返し銘記したい。
冬が訪れようとするなかで聴く「夏を待っていました」も乙だった。今回の「ロストボーイズツアー」が夏のライブだったことをここでもまた思い出して目頭が熱くなった。
「戸山団地のレインボー」、「数え歌」そして「アオモリオルタナティブ」。青森が色濃く描き出されるこの歌たちを聴いて、秋田ひろむが過ごした世界の一端を改めて目の当たりにしたいと思った。青森は不思議な魅力がある街だから何度でも行きたいと思う。「アオモリオルタナティブ」のMVに登場する場所をどれだけ巡ることができるだろうか、と今からとてもワクワクしている。
「爆弾の作り方」がここに位置していたことをすっかり忘れていた。「僕は歌う つまりそれが僕の兵器でありアイデンティティー」2という気持ちが今日までずっと続いてその先に在るのが秋田ひろむというアーティストなのだということが勝手ながらに肚落ちして、胸がいっぱいになった。
このライブのことを思い出し、かじかんだ心を温める。たしか、そんなふうに秋田ひろむは言っていた。強欲な私は次のライブをどうしても心待ちにしてしまうけれど、たしかにこれまで行ったライブのことを何度も反芻しては、そのたびに温かい気持ちになってきた。だからこの日の出来事だってもちろん、これから絡まるであろう心を解いてくれる一助になるのだ。
これらの思い出を心に灯せば足元を照らすことだってできる。後ろには花は咲かずとも、これまで自身がとおった座標に光が灯っていれば、それらを線で結んだときに星座みたいにきっと煌めく。これを見たとき「死にたいなんてうそぶいたって 対岸の灯が眩しくて」3という歌詞を追体験することになるにちがいない。
そういえば、秋田ひろむは『七号線ロストボーイズ』が道しるべになったらいいな、という思いを込めて作ったと言っていた。日々迷う。ただ、そのときに共に歩んでくれる存在がいるということは、それ自体が大きな灯であり道しるべでもある。『七号線ロストボーイズ』はこれまでとこれからを照らし出してくれるような存在だ。秋田ひろむが目論んだとおりに、道しるべとしての歌が私の心に灯っている。
いつも不思議な気持ちになるけれど、amazarashiのライブに行くと、心がとても軽くなる。amazarashiのライブを終えた後の心境を語るならば、豪雨の後に訪れる静けさに似ている。
私にとってamazarashiは100を0にしてくれる存在だ。ライブに行くたびに真っ黒にもつれた雑念を解き、心に余白を作り出してもらっている。飽きることなく止めどなく流れる涙、これこそ100が0になっていく段取りなのかもしれない。これは、amazarashiが徹頭徹尾必要な存在なのだということを痛感させられる瞬間でもある。
痛感させられると言えば「空に歌えば」の語りの部分である。この曲が始まる時点でこれでもか!というくらいに心を鷲掴みにされているのだが、たたみかけるように紡がれる言葉のスコールに全身打たれたような気分で、なんだかもうあらゆる感情が涙になっていくのをただ感じるしかなかった。
掴んだものはすぐにすり抜けた
秋田ひろむ「空に歌えば」、2017年
信じたものは呆気なく過ぎ去った
それでも、それらが残していったこの温みだけで
この人生は生きるに値する
「この人生は生きるに値する」と力強く切実に叫ぶ秋田ひろむの声に捕縛された精神は、熱誠に射貫かれて泣きじゃくっていた。まさしく「嵐でも折れない旗の様に」3このことを勁く主張してくれることにいつも心が揺さぶられて、何度見ても滂沱の涙に呑まれてしまうのだ。
そしてこの状態で迎える「1.0」。なすすべもなく落涙、致し方ない。とにもかくにも「0.6」から「1.0」までに至るまでの軌跡は筆舌に尽くしがたい感動と痛みと希望があることを突きつけられる。窓越しからでも、同じ電車に乗れなくても、全貌を知ることは叶わずとも、ただこの歩みを遠巻きながらも目の当たりにできたという奇跡を心からうれしく思う。
一歩一歩、一曲一曲歌うことで、ここまで、終わりが見えるところまでやってこれました。あと2曲。
息を少し弾ませたように秋田ひろむは言っていた。改めて考えると、ライブは一曲一曲の集大成で編まれる時間だ。この時間にどれだけの心血が注がれ、命を燃やしているのかと思うと、本当にここまで歌ってくれてありがとう、という気持ちが込み上げてきた。
星の光のように彼方から音が降り注ぐ、これが「スターライト」。「スターライト」を聴くと、ああ、まだがんばらねえとな、とやおら立ち上がることができる。「夜の向こうに答えはあるのか、そう問い続けた旅路はまだ続いている」と力強く言い放つ秋田ひろむ。旅路を続けてくれてありがとう。この旅路の一端を今もなお目撃できることがこのうえない幸せです。
そして迎える大団円、「空白の車窓から」。ファンファーレのように高らかな響きは終わりをそれとなく彷彿とさせるから、始まった時点でなんだか寂しくなったよ。終わってほしくないなあ、といつも思いながらあっという間に過ぎ去っていく無情。「知らない君より知った君が持ち得る光源」4に私も期待してもいいだろうか。失くすということを知った私が、持ち得る光源の存在に、期待してもいいだろうか。
「生きていく為の言い訳を 死んではいけない理由を」3あげつらうために、何度も何度もこの日のライブやこれまでのライブを思い出して、かじかんだ心を温めていくのだろう。迷うことはあれど、辛酸を舐めようと、喜びに舞い上がれども、この光があれば、この光があるから、おかげさまで安心して前へ、光へと進むことができそうだよ。きっと、大丈夫。
ツアー完走、本当に本当にお疲れ様でした。歌ってくれて、本当にありがとう。あと何回再会できるかは解らないけれど、光に向かって進んだ先、その交点でまた会えることを心待ちにしています。
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