したためようとしている今もなお、実はまだ立ち直れないでいる。聞きなじんだ曲の数々さえも聞くには未だ抵抗があり、何一つ聞けないでいる。
念願叶ったあの場所で聞いた音楽に打ちのめされてからというもの、ひたすらに茫然自失としたまま、私の世界は止まっている。規則正しく移り変わる季節に置いてけぼりにされた私の心は、しんしんと雪が降りしきる青森に置き去られたまま、遺失物がよろしく凍結しているみたいだ。
そうこうしているうちに私は30歳の誕生日を迎えていた。こんな情緒になったのは、冬の青森が孕むセンチメンタルに中てられたからだろう。破壊された情緒と、それらにまつわる思い出を反芻するために、できるかぎり詳らかに綴りたいと思う。「忘れないために書き殴る今日の出来事」を、ここに遺したい。
当初は、5月末を予定していた。それが12月に延期になって、さらにまた翌年の9月に延びて、気付けば季節はまためぐり、2度目の12月を迎えた。ようやく辿り着いた12月、冬の青森。
夢がまた一つ叶った、否、また一つ夢を叶えたのだと肯いた。夢は「叶うもの」ではなく、「叶えるもの」なのだ、という使い古された定型句が脳裡をよぎった。東北の北端に足を運ぶのは初めてのことだったので、浮き立っているのか、はたまた浮足立っているのか、その両方が綯い交ぜになって始終ソワソワしていた。
トンネルを潜り抜けると、それまでの青空とは打って変わってモノクロの世界が広がり、真っ白な雪が世界を銀色に染めていた。その情景を見るやいなや思い出したのは、数年間を過ごした新潟の厳しい冬のこと。
正直なところ、陰鬱とした冬には明るい思い出はあまりない。灰のように積もった思い出たちは、溶けることもなければ、掃ききることもできずに残留していて、感傷に浸ることすらままならないことに気付く。雪が連れてくるのは、そうしたちょっと痛い出来事。おそらく私は、冬や雪に感傷や思い出や涙の類を託しすぎているのだと思う。
青森の地に立ったときに感じた凛冽とした空気がとても心地よく、短髪の間を通り抜ける風に身震いして、これから一層深まるであろう冬の一端を全身で受け止めた。私たちの初雪は、「カラス」が始まるときに聞こえる雪を踏む音と同じ音を立てていて、それがうれしかった。
ライブ前に見た浅虫、この地に足を運んだであろう秋田ひろむに想いを馳せながら、吹きすさぶ海風のなかを逍遥した。お世辞にも賑わっているとは言えない温泉街の黄昏を目の当たりにし、ちらつく雪が少し強くなったところで、いよいよ会場に向かった。
ただでさえ1時間に1本あるかどうかの瀬戸際である電車が遅延するなどしてヒヤリとするも、滞りなくリンクステーションホールに到着することができて胸をなでおろした。
後から聞いたことだが、下り電車は線路破損により大遅延を起こしたらしく、私たちが帰路につこうとしたときには、その影響はすでに後続列車にも波及していた。思いがけなく足止めを食らった私たちは、駅のホームにある待合室で暖を取りながら、海風に煽られて断続的に降る雪をぼんやり見ていた。
無事に浅虫温泉に着いた頃には雪はピタリと止んでいて、前人未到の新雪に思いっきり足跡をつけてはしゃいだりもした。不慣れな遠方の地で色々あったことはたしかだけれど、最悪の事態を難なくすり抜けられた私たちは、絶対的に幸福の申し子であるらしい。
ところで、今回のライブは私にとって5回目の公演だった。それでも高揚感はひとしおで、相も変わらず流れ落ちる涙や上昇する体温を感じては、すごい速度で過ぎ去る時間を名残惜しく思った。
自分を取りまく環境、状況や心境、そうしたものたちに感化され、たとえ同じ曲であってもそれらに対する感じ方や捉え方はそのときどきで随分と変わるし、新しい発見をしたりもする。
今回のライブは本当に稀有で、唯一無二のパーツが組み合わさって迎えられたこともあり、滾々と湧き上がる感謝の気持ちに少し戸惑いを覚えた。この気持ちをどこに置いたらよいのかまったく見当がつかなかったからだ。愛おしさや慈しみなどの感情と旁魄した感謝は痛みになって、大切なものたちの大切さがまさしく有り難いことを痛感し、それをただ噛み締めるほかなかった。
そんなときだった。「千年幸福論」を聞いたのは。「世界の解像度」からの「独白」、そして畳みかけるように続く「千年幸福論」という曲順に、もはやいかなる抵抗もできず、滂沱の涙に飲まれるがままだった。とはいえ存外思考は明晰だったらしく、「千年幸福論」を聞いている最中に、私にとって千年続いてほしいのは何だろうか、と自身に問を投げかけてみたりもした。
それからほどなく合点がいったのは、この感謝こそが千年続いてほしいものなのだと言うこと。千年続く感謝は、千年続く慈しみになって、千年続く愛おしさを語るのかもしれない。ただ続いてほしいと希うような愛おしさがあり、それを一生携えたい、という切実さがつららになって胸を裂いた。
今回共に足を運んでくれた妹に、そしてツアーファイナルまで駆け抜けてくれたamazarashiに、ただただ心からのありがとうを一心に伝えたいと、そう強く思った。
そのほかにもハッとしたことはいくつかあった。たとえば「帰ってこいよ」だとか、「未来になれなかったあの夜に」を聞いたとき。今回のツアーで幾度となく聞いているにも関わらず、鮮烈さを一層身に纏ったこれらの曲を改めて聞いたとき、何も成し遂げることができなかった私、成し遂げようと思えたことすらなかった私の存在を、私は漸く認めることができるような気さえした。
それは、いわば微量すぎて目視できないような前進、それでもたしかな一歩を踏み出したと判る足跡とも言えるだろう。何もない無能な自分、もとい不完全な自分に対してYESを断言できる、そうした確かな肯定や赦しを目の当たりにしたのだった。自分との和解にはまだまだ時間がかかりそうで、苦笑いが絶えない。それでも、痛みを伴いながら、確実に前進している。そのことを讃えたい。
一縷の光を見出したところで、時間は無情にも終わりを告げる。執拗なまでの悲哀を漂わせたまま、この公演は最期を迎えた。冬の寒空、雪が音を吸収する只中、次に向かう確固たる意志を表明して。
そこには、震えた命がいたるところに同席していた。それは曲と曲の狭間に、あるいはMCをする隙間に、そして息継ぎをする一瞬の空白に見出すことができる息吹とも言えるように思えた。そうした様々な行間に差し挿まれうる解釈を、貪婪にもできるかぎり精緻に描き出したい。私が希っていることだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。そんなことはずっと前から解っていた。わずか1日足らずの滞在ではあったけれど、今回過ごした時間はとにもかくにも掛け替えのない時間になってしまったので、その途方もなさに胸を撃ち抜かれた。
途轍もない景色を見てしまった、と息をのむほどに名状しがたいその気持ちは、錨になって私をその場に留めた。規則正しく過ぎ去る時間に順応できないでいる心は、凍結されたまま東北の北端に残され、その融解を待ちぼうけている。
おそらく必要なのは、端的に時が経つこと、そして筆舌に尽くしがたい気持ちを咀嚼すること、そうした気持ちに己の言葉を己が納得するまであてがうこと。それらの活動が雪解けとともに、新たな感情の萌芽を促すにちがいない。
不確実な明日を生きるのは容易いことではないから、明日を生きようと思うには、明日を生き延びるための約束が必要だ。再会を今か今かと心待ちにするようなときめきが、これからの行く先に対して、期待で心が弾むような高揚感が、生きるためには徹頭徹尾必要だ。
しみったれた現世では、何か楽しいことがないかなァと嘯くこともあるだろうけれど、だからこそ私は希う。いつかの新しい夜で再会できることを。そしてこれはきっと、自ら「叶える夢」でもあるのだと、私は確信している。
amazarashi、本当にありがとうございました。再会を祈って。
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