未だに何者かになろうとしている自分がいることに気付く。私は私以外を生きることができないことを嫌と言うほど知っているというのに。おもむろに「私を生きろ」と象られた栞を手にしてみる。この言葉がただ消費されるだけの言葉にならないことを希うばかりである。
このライブが告知された日から5ヶ月以上が過ぎ去ったことになる。そう思うと随分遠くまで来たと感じる。実際にこの5ヶ月間は個人的にそこそこ色々あって、心を揺さぶられることが多かった。それでも、振り返ればあっという間だった、という一言に尽きてしまうのだが。5ヶ月を生ききるのは並大抵のことではないと知っていたはずなのに、幸か不幸か私はただ日々を生きることができてしまうのだ。
もう一度このライブを観たい。円盤とかではなくて、生で観たい。日が経つごとにその気持ちが強くなる。どれだけ観ようとしても、その瞬間に大方すり抜けていく。ライブの最中は、まるで自分を客観的に見下ろすみたいに集中して目の前の出来事を咀嚼しているのに、終わってみればそれは泡沫。あまりにもすべてを憶えていられなさすぎる。
憶えようとしていたはずなのに、憶えることよりも聴くことに集中しているから、結局残るのは虚脱感と抜け殻みたいな自分。私にとって聴くことと憶えることは同義ではないらしい。
さて、「電脳演奏監視空間 ゴースト」という表題が掲げられた今回のライブは『ゴースト』というコンセプトアルバムが核になり、秋田ひろむが書き下ろした物語『ゴースト』ーーーアルバムと同じ名前の物語ーーーを軸に展開された。公式ホームページにも書かれているように、「電脳演奏監視空間 ゴースト」は2018年11月16日に行われた「新言語秩序」というライブの続編として打ち出された。
アリーナの中心に聳え立つ円柱形のスクリーンに映像が映し出される。観客たちが専用アプリを片手にそれを見守るなか、この物語は、様々な作家たちが書き残した検閲や監視に関する引用文から始まった。それは導入にはあまりにもうってつけな演出で、みるみるうちに引き込まれていくのを感じた。
なかでも印象的だったのは、「検閲は監視と表裏一体である」というような意味合いの文章だった。そういうふうに捉えることもできるのか、と新たな着想を得たところで、『ゴースト』の1曲目でもある「君のベストライフ」は始まった。
「君のベストライフ」は、これからものすごいことが起きるにちがいないことを予感させるような造りになっているので、何かの告知にあまりにもお誂え向きだと思う。そう感じるのは、「電脳演奏監視空間 ゴースト」が発表されたときの瞬間を思い出すからかもしれない。いずれにせよ、始まりを高らかに告げた「君のベストライフ」を聴いて高揚しないわけがなかった。
この公演が終わってから「ナイトメア」を改めて聴いてみたら、別の側面からも捉えられることを知って思わず唸ってしまった。ライブが終わってからもこれまでとは違った楽しみ方ができると思えば、このライブが終わってしまった寂しさも少しだけ和らぐ。まさか悪夢(ナイトメア)から光明を見出すことになるとは。
「黎明期」のMVをつけながら専用アプリを発動させたとき、たしかに「新言語秩序」を思い出して血が滾った。ここでもそう来るかと思ったけれど、専用アプリの発動は別の機会(=「光、再考」)に持ち越されたらしい。
「アオモリオルタナティブ」しかり、私には、〈今日が始まり〉だと言い聞かせて平常心を保とうとするきらいがある。「黎明期」もまさしくそうだ。たしかにそう言ってくれる歌があるのは心強いことだけれど、いつまでもそれに甘えるわけにはいかないこともちゃんと自覚している。
始められるか、立ち止まってばかりの私が、私を始められるのか。
ひるがえってナタリーのインタビューを読んだのは、この公演の1週間ほど前のことだった。なかでも興味が湧いたのは、ネタバレにならない範囲と銘打って秋田ひろむによって紹介された作品たちだった。なんでもそれはこの物語を作成するにあって秋田ひろむが参考にしたものでもあるらしい。
小説を読むと心を使って疲れることが多いので、私は普段小説を好んで読まない。にもかかわらず、私は現金なので、そこで紹介されていた『カモメのジョナサン』と『華氏451度』をちゃっかり予習した。どちらも読みやすいので、もし未読の方がいらっしゃればぜひ手に取ってほしい。
『ゴースト』という両作品の端々に、これらの思想が受け継がれていたことはたしかだった。物語の感想を差し置いてこんなことを言うのはおこがましいが、何よりも心が震えたのは、これらの作品から秋田ひろむの思想の一端が垣間見えたことだった。
水脈を辿るように、秋田ひろむが思考した内容の断片を『ゴースト』から感じ取れたこと、もっと言うと共有できたことが、この上なくうれしかった。
敬愛する人がどんな作品にふれ、どんなふうに解釈し、どんな着想を得て、感情や思考を翻訳しているのか、その欠片を見つけられたことが心からうれしかった。
『ゴースト』に収録されていない楽曲たちが選定された理由を知る由はない。いずれにしても、久しぶりに聴くことができた曲もいくつかあったので、懐かしさや感慨深さがこみあげてきた。具体的には「未来になれなかったあの夜に」や「スターライト」がそうである。
もしかして、という想いとともに、心が跳ねたのを感じた。カチリという音を立てたように期待と現実が合致する。「未来になれなかったあの夜に」だった。
どれだけ経っても刺さる言葉は刺さる言葉のまま、私はそれらを抱きしめる。それと同時に、ツアーで聴くたびに泣きじゃくっていた私の姿が脳裡をよぎる。あのときから、この歌詞には支えられている。
醜い君が罵られたなら 醜いままで恨みを晴らして
秋田ひろむ「未来になれなかったあの夜に」、2020年
足りない君が馬鹿にされたなら 足りないままで幸福になって
聞きなれた口調で語られる独白は、『ゴースト』という物語の一部であるというよりは、いつものライブで聞くそれに思えた。「夜の向こうに答えはあるのか」という声高な問いかけに「スターライト」を想う。
いかなる検閲も強制も振り払って放たれた「スターライト」は一閃する光そのもの、そして切なる希いにほかならなかった。
夜の向こうに答えがあるのか、それは夜の向こうに行ったひとしか知ることはできない。それでも、変わらない心地よさに浸り続けるくらいならば、答えがあるかもしれない方に賭けてみたいと思った。しないで済む損はしたくないし、慣れ親しんだ場所で胡坐をかいているほうが、たぶん楽だ。そうだとしても、動かずにはいられない心があるなら、私はその心を大切にしたい。
通常のライブは2時間程度で行われる。が、アプリ越しに視界に入る時計は、このライブが開始から2時間以上経過していることを示していた。待ちに待った曲が演奏されて心が躍る。「アンアライブ」だった。
「アンアライブ」という名前は、スラングや婉曲表現で使われる言葉らしい。しかもそれは各種プラットフォームでの検閲や監視を回避することを目的としている。現実世界においても、すでに一定程度の検閲回避策があるらしい1。この記事で興味深いのは、次の一節だ。
しかし、自分たちが使うプラットフォームで何が”適切”かを決める人間ではない検閲官から人間が逃れる努力をしているのだから、その空間で私達は自分たちの言語をコントロールできていないことになる。
https://news.mynavi.jp/techplus/article/svalley-919/
『ゴースト』という物語の世界と現実世界が交差する。人間ではない領導者から逃れる努力をしていたのは、この物語に登場する人々も同様だった。
「アンアライブ」はこの公演のなかでもとりわけ圧巻のパフォーマンスだと感じた。スクリーンに映し出される得体のしれない生き物、それがどうやらグッズとして描かれているらしいこと、そしてそれらを貫く力強い歌声。掴めそうで把捉しきれないそれらから、目を離せずにただ呆然としている自分がいたこと。「アンアライブ」の光景は、何よりもめまぐるしいものだった。
「アンアライブ」の喧騒が止む。物語の行く末を見届けると、エンターキーを押下するタッチ音が響くと同時に「ゴースト」の前奏が始まった。思えば、私がこのライブのなかで最も聴きたかった歌は「ゴースト」だった。終わりを迎えるならこの曲だろうという予測どおり、このライブでも最後に据えられた「ゴースト」は、これまでの出来事を慈しみ、許すような柔和さで紡ぎだされた。
システムに則って、しきりにスマホのライトが光る。私も例にもれず光を照らす。秋田ひろむの背中を照らす。そのときふと思ったのが、いつもは照らされる側の人間が、この一瞬だけは、秋田ひろむを照らすことができる、ということだった。
照射する光はたしかにあまりにも矮小だった。それでも、秋田ひろむに光を向けることができたという事実だけで、不思議なことに胸がいっぱいになった。やはり私は現金である。
秋田ひろむの声は心地よい振動で空間を包んだ。何よりもしなやかで、凛としていて、どこまでも広がり、余韻を残した。だからこそ、正直に言えば上ずる声も、飛び飛びになる歌詞も、気にならないわけではなかった。それでも、秋田ひろむが歌う歌を聴くことができるならそれさえも味だと思ってしまった。
畢竟、私が求めているのは上手い歌ではないようだ。とにもかくにも、秋田ひろむが歌う唄に私の心は震えている。背中しか見ることができなくても、泣けてくることもある。思えば、いつだってそうだった。
『ゴースト』をもう一度聴く。この物語をなぞってからもう一度聴くと、歌のなかで表現されているものとは別の一面を新たに知ることになる。
言うまでもなく、『ゴースト』というアルバムは、ただ聴くだけでも心に響く。が、アルバムと物語との密接な結びつきを知ることによって、いっそうその奥行きは広がり、さらなる深度も昂揚も生まれてくる。
たしかにこの日のライブを何よりも心待ちにしていたから、この公演で見納めなのは非常に名残惜しく思う。しかし、このアルバムと物語を交差させることで、きっとそこには名残惜しさや寂しさを和らげるだけの引力が生まれることも、おそらくたしかである。
だから今はamazarashiとの再会を願って、もう一度『ゴースト』を聴いてみようと思う。同じ名前の物語を傍らに。
「自分自身を生きられますように」と秋田ひろむが語るように、ほかでもない私自身を生きる私でありたい。選びながら言葉を発する人間でありたい。言葉に向き合う人間でありたい。言葉を手繰り寄せようと思い悩む人間でありたい。私が成すあらゆる行動の主語は〈私〉でありたい。
ずっと黎明期、ここが始まり、そんなことばかり言っている私が、私をちゃんと始められますように。
- 君のベストライフ
- ナイトメア
- 黎明期
- 光、再考
- 小市民イーア
- ムカデ
- どうなったって
- 痛覚
- 収容室
- ロストボーイズ
- アンチノミー
- 未来になれなかったあの夜に
- おんなじ髑髏
- 僕が死のうと思ったのは
- スターライト
- アンアライブ
- ゴースト
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