福利厚生ではない「手当て」の話。
命を支えてもらって、今日を生きることができているのだと、今日も生かしてもらったのだと、日々実感している。突発的に起きたわりに思いのほか長続きする不調に対し、できることはできる範囲で試してみるも、人の数だけ存在する「適した方法」を見つけることは存外難しい。
よく聞く話だけれど、20代のうちはそんなことありもしなかった。これが年を重ねることなのかもしれない。そうは言っても、こないだ30歳になったばかりなんだぞ!まだ十分若いだろうが!と声を高らかにして主張したいことだけは明記しておく
。藁にも縋る思いであたふたしながら、ようやく自分に合った場所に巡り合えたのは、職場にいる長老のおかげ。どんな場所が自分には合っているのか、そんな根本的なことを再考するきっかけにもなったので、言葉にまとまりが見えないながらに書いてみようと思う。書きながら自分の気持ちに整理がつくこともあるからね。
「手当て」という言葉があるように、文字どおりに手を当ててもらいながら、先ほどまでの痛みが和らいでいくのを感じる。患部を温めてもらいながら、ただただじっとして、時間が流れていく。
その間に、別の患者さんを施術しながらやり取りされる会話を何とはなしに聞いて、先生の明け透けな物言いにたまにクスっとしながら、ただ穏やかに待っているこの時間が、結構好きだ。
じんわりとした温みがゆっくりと広がると、焦りだとか、緊張だとか、日頃の生活で固まった身体がふと緩むのを実感する。そこに隙間が生じるのだ。私が「0になる」ための隙間が。自宅で休むのとはまた違い、穏やかな安心感に包まれる感覚、とでも言えるだろうか。歯車が廻るための隙間が、ふっと生まれていくのだ。
そういえば、施術室に時計がないのは、もしかすると焦りから私たちを遠ざけるための工夫なのかもしれない。あくまでも想像に過ぎないが。
何気なく交わされる「大丈夫か?」「調子はどうだ?」という先生からの明朗な投げかけに対して「今日もだめです!」とか「順調に痛いです!」なんて声を大にして主張ができることが結構大きな支えになっているらしい。
思っていることを奥底に仕舞い込むのに慣れてしまうと、意識的に我慢しているわけでもないのに、自分に関する主張、とくに不調に関する主張を外に出すことに躊躇いが生じたりする。だから、平気じゃないことを平気じゃないって平然と言える環境は貴重で、そういう主張をしていく心積もりというのも、私自身には必要なことのようである。
機械的な処置ではなく、一人の人間として向き合ってもらえる、ということも今の私には大切なことなのかもしれない。
これまでにも様々な機関を受診してきたけれど、それらとは違う感覚というのが、この場所にはあるのだ。先生は私を名前で呼んでくれる。苗字ではなく、ファーストネームで。そんなふうに誰かに呼ばれることはめっきり少なくなったので、こそばゆい気持ちがしつつも、やっぱりとてもうれしい。
私は私の名前を呼ばれるのが好きだ。そして、私の名前を呼んでくれる人が好きなのだ。
そんな、やり取りがあるから、私はここでいったん「0になること」ができているのだろう。人の数だけ存在している、いのちといのちのやり取りだとか、「いのちにふれる」というような交感をこの場で身をもって体感して、自分にとって大切なものだとか、今の自分に必要なケアなるものについて、少しだけではあるが、理解ができたような気がする。
ここには様々な年代の人たちが訪れている。まだ1か月にも満たないけれど通っているなかで気付いたのは、人に合わせた「語り」があるということだ。
私と同じ年代の人にはその人たちに合わせた話の種があって、年配の方に対してはきっとその人たちに合わせた話題がある。僅かな施術時間のなかで繰り広げられる会話には、それぞれに合った花が咲いているようである。たいていは身体の不調に関する話題が多い。数値が悪かった。どこどこが痛い、曲がりにくい。気圧めぇ…(左記はおもに私)。
生きている限りどうしたって重力には逆らえないから、何十年と生きていくと衰えがあちこちに生じることは不可避なのだろう。それでも、それでも、と言わずにはいられないことがある。
私は、畢竟「老い」をどう受け止めていけばいいのだろうか。今は幸い「そのうち症状は消えるし、ちゃんと治るよ」となだめてもらえている。不安そうに「もう治らないのかなア」とこぼした私を見かねて言ってくれたのだろう。治るよ、と言ってもらえたのは1度きりのことではなかったから、毎度毎度、そうしたやり取りにも私自身は支えられているのだ。
そうは言っても先生は豪放磊落なので、何事も率直に伝える。「治らない」ことに対しては、「治らない」からこそ日々のケアをそれなりにして、痛みを緩和して、無理や負担をかけるようなことは絶対にしないことを重ね重ね話されていることもままある。
「今は解らないと思うけど、きっと40年後くらいにいろいろ解るよ」なんて私に言う先生はいつも快活に笑っている。こんなふうにして先生は、あくまでも軽やかに話されるのが常なので、「治らない」ことを話されていたとしても、そこにはジメっとしんみりした雰囲気は一切ない。
患者さんも「そうよね~、気を付けますね~」なんて言って穏やかに笑ながら返答されるので、こちらにも気重な様子は見て取れず、前向きな諦め、というようなものがあちこちにあてがわれているのを実感するのだ。
この歳まで生きてきたのだから、何かしら不調はあるし、仕方がないことなので、それを受け容れたうえで定期的に手当をしてもらう―――きっとここに辿り着くまでに、数多の喜びと苦労が交差した人生を重ねてこられたのだろう。生きている時間が長ければ長いほど、それに比例した数の出会いと別れを通過するにちがいないからだ。
そうした深度をそこはかとなく感じ取りながら、自分とは年の離れた人たちの会話を聞くことで、これまでとは違った視点から考察できる物事があることにも気付く。「治る」ことと「治らない」こと。抗いようもなく、身体に否応なしに刻み込まれていく「老い」。いずれは誰しもが迎える「死」。
そんなことに思いを巡らせてみるも、今の私には、例えば「治らない」ということに翳る絶望を乗り越えられる気もしなければ、どうにかして老いに抗いたいという気持ちも抑えられない。事実、あれやこれやに手を出しては費用や時間を捻出することもやぶさかではないのだ。
老いに抗いたい気持ちが疑う余地もなく定着しているのは、おそらく人口に膾炙している。そうしたなかでも「老い」と折り合いをつけ、かつ受け容れるには、どのような算段が必要なのか、これに関して納得できるだけの解釈を提示することは未だにできないので、次に先生のところに行く際に訊いてみようと思う。
健康であることが高らかに語られることに疑念はない。日々の生活をつつがなく営むには、健康であることがもはや前提として据えられているからだ。
それでも、不調であっても、「なんとか生きていく」術を身につけておられる逞しいひとが多くいることも、同時にたしかなようである。それは、あの場所で繰り広げられる人々の会話から教わったことだ。
「治らない」なら「治らない」なりのケアをしながら、不完全を受容しながら、不満を抱きつつもそれなりに悪くない日々を営む。亀の甲より年の劫なのだなァ、と人生の諸先輩方の達観した物の見方を目の当たりにして脱帽した次第である。
己の浅はかさと脆弱さも同時に痛感するなどしつつも、私は今日も、おかげさまで生かされているのだ。
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